2008年05月30日

石原グスク

上里グスクを出て、次は北の伊原(糸満)へ向かった。

上里グスクを左手上に見上げながら、急な坂を下っていく。

途中がらがらのハル道(農道)をとおる。

国道331号線にでる。

国道をまたいで伊原バス停近くのすーじミチにはいって、
しばらくいくと、左側に「石原グスク」の路標がみえる。

コンクリートの階段を上りさらに奥に進むとグスクとなっている。

正面右には、写っていないが石灰岩を利用した拝所のようなものがみえる。


石原グスク

写真の手前左側が天然の石灰岩の壁で、50cmほどの間隔で右側には50cm程度の野面の石垣がつまれている。
それが5~6メートルつづいてグスクにはいる小道のようになっている。

しかしそのあとは低くなっており、石垣であったと思われる石が散乱して、

しかも薄暗いので、素人では現状がわからない。

古揺「おもろ」にも謡われたグスクだと聞いた記憶があるが、

それほどのグスクであったなどとはもはや実感できない。


石原グスク

糸満に限ったことではないのだけれども、

今回「国吉グスク」あたりから、集落内をとおると、
小さな家が建っており中に位牌だけがあるという、屋敷を見かける。

これは先の大戦で一家全滅した家族達の屋敷であることがおおいという。

また、上里グスクからすぐはなれたところには、「陸軍病院之塔」がある。

今回の「石原グスク」のほとんどとなりには、「琉風の碑」がある。

戦前の沖縄気象台職員の慰霊碑だ。

ということで、遺跡めぐりをしているつもりでも、
実は戦跡とも隣り合わせなのだ。

どうしても先の大戦を意識せざるえなくなる。

当初、遺跡を探索しながら思うことは、
発掘調査を徹底して復元できたら素晴らしいのに、
などと考えているのだが、
戦跡をとなりあわせにまわっていると、
遺跡を復元するより、そっとしていたほうがいいのかもしれないと思えてくる。












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Posted by 瓦屋根 at 00:44│Comments(2)文化
この記事へのコメント
貴重な画像ありがとうございます。

集落まではよく出入りしますが、なかなか城跡の方まで
いけません。戦跡と遺跡の区別が難しい、、、
同感です あの辺の小石が遺骨に見えてしまって、正直
いい気持ちが致しません。
うっそうと茂ったジャングル、、、廃墟はまだ古い時代ではないのです!

一昨日は真栄里で描いて午後は名城入り口の方で
描いておりました。
観光客の方々数名が ビーチの事を聞いておりました。
閉鎖の理由など 、、、まだビーチは開いてると思ってるひと
多いですね~
Posted by 源氏パイ源氏パイ at 2008年05月30日 07:26
☆パイさん、

>廃墟はまだ古い時代ではないのです!
そうなんですよね。
あの辺は戦争でなにもかもめちゃくちゃに・・・

>午後は名城入り口の方で描いておりました。
ニアミスしていましたね(笑)

ビーチは閉まってたんですよね。
瓦屋根の小学生のころの遠足のコースでした。
成人してからはビーチパーリーでね^^
まあ、ちかくにも人工ビーチのいいところができましたからね・・・
Posted by 瓦屋根瓦屋根 at 2008年05月30日 17:10
 
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