2007年03月11日
大宜味小太郎さんの思い出

うちなー芝居の名優、大宜味小太郎さんが亡くなられて、久しい。
3月4日のサンシンの日前後になると、この方のことを思い出す。
なぜ、その日で思い出すのかといえば、知っているヒトのなかでは、
当たり前のことであるが、飛ばしてもつまらないので
そこから話をおこしておく。
サンシンの日の提唱者である上原直彦さんは、ウチナー芝居の名作「丘の一本松」の脚本を作った。
20代である。
いまだからウチナーグチのプロフェッショナルだと思われている上原さんであるが、
実は就職してまもなく、ある取材の失敗でクビを覚悟で必死でウチナーグチを勉強したのだそうだ。
その結晶が、「丘の一本松」であるといっても、いいのかもしれない。
そして、その「丘の一本松」を演じたのが、大宜味小太郎さんであったのはいうまでもない。
瓦屋根は学生時代、とある新聞社の企画する「芸術祭」の舞台裏方のバイトをしたことがあった。
芸能芸術の各分野でなにかの賞をもらった方々が、出場する舞台である。
琉球古典、邦楽、クラシック(洋楽)、琉舞、日舞、バレエ、芝居といったいろんな分野だったと思う。
その舞台のある日、大宜味小太郎さんと超ニアミスをしたのである。
そのとき瓦屋根は幕下で控えている、直前の出演者達に舞台に出る合図を出していた。
新人賞あたりをもらったのであろう、あでやかな琉装のきれいなおねーさんが瓦屋根の前で待機していた。
かちんこちんに 緊張している。
そのすぐ近くで、つまり瓦屋根の目の前であるが、そのあとの出演者であった、女形姿の大宜味小太郎さんがいた。
瓦屋根は実物の小太郎さんを見るのは初めてだったが、そのときの印象は、「意外にちいさいな」
であった。
だが、存在感はすごい。
瓦屋根は面識もないし、通でもないのに、小太郎さんがいるだけできんちょーしていた。
おおものだなあと、瓦屋根が様子をみていたら、小太郎さんは目の前のかちんこちんの
おねーさんを笑顔で励ましていた。
小太郎さんもほんとはプレッシャーが多少はあったと思うのだが、
おねーさんは深呼吸もさせられて、舞台に送り出されていった。
送り出すときの、この小太郎さんの笑顔をいまでも時々思い出すのである。
目が細くなった笑顔がなんともいえずやさしさにあふれ、
あの笑顔が、ウチナーの芸能を志す小太郎さんの後輩達に送られているような
気がするのである。
Posted by 瓦屋根 at 20:42│Comments(4)
│追憶
この記事へのコメント
こんばんは。
じっくり読ませていただきました。
では。
じっくり読ませていただきました。
では。
Posted by びん at 2007年03月11日 20:50
☆びんさん、こめんとありがとです。
Posted by 瓦屋根 at 2007年03月13日 21:22
僕も大宜味小太郎さんの「丘の一本松」みました。
で、彼の存在感、オーラをビシビシ感じましたねぇ~。
僕も一度は会ってみたかった沖縄人です。
で、彼の存在感、オーラをビシビシ感じましたねぇ~。
僕も一度は会ってみたかった沖縄人です。
Posted by ピカデリー at 2007年08月22日 02:06
☆ピカデりーさん、何のことはない投稿ですが
こめんとありがとです。
こめんとありがとです。
Posted by 瓦屋根
at 2007年08月24日 20:54
