2006年11月28日

ある赤瓦屋ーの履歴書

ある赤瓦屋ーの履歴書
※写真と本文は関係ありません


昭和初頭     :南洋に出稼ぎにいった家主が送金して溜めた資金で用材を買い集め始める

昭和10年代始め:用材が集まる。
            沖縄本島南部某村字某集落にて〈出生)建てられる。  
            基礎の版築、葺き土・瓦の屋根上げなど人手のかかるものは
            ほとんどユイマールであった。
            建った当時は集落でも数少ない立派なカーラやーであったという。

昭和20年前後  :米軍が沖縄本島に空襲を開始、その後上陸
            その頃には、私の周囲には立派な後輩「赤瓦屋ー」達が建ち並んでいた。
            しかし、戦火が本島にまで及び始めると、空襲で焼ける家、
            艦砲射撃で吹き飛ぶ家、また地上戦で敵か味方かわからない
            ニンゲンに焼き討ちに会う家、でほとんどが焼失した。
            にもかかわらず「ワタシ」だけが、奇跡的に「生き残った」 
            しかし、軒柱と梁には機銃の痕が残っている。


昭和20年~  : うちなーちゅの復興努力により、「ワタシ」の周囲に
   30年代    新たに赤瓦屋ーが建ち始める。
            またあたらしく「ワタシ」の後輩ができた。


昭和40年台   :「ワタシ」を建ててくれた、「おじぃ」が亡くなる。
            しかし、その長男が「ワタシ」を引き継いでくれる。 
           数年後、「おじぃ」の連れ合いであった「おばぁ」が亡くなる。
           「おばぁ」は長男とその嫁に、「おじぃ」が苦労して建たカーラヤー〈ワタシ)を
           大事にしてくれと、言い残す。
           少し前から、コンクリヤーが建ち始めるが、海洋博を前後に激増する。        
           「彼ら」は、ちゅーばーそうであった。
           一方で赤瓦屋ーの新築は激減する。

昭和50年代後半 :「ワタシ」の後輩である、「赤瓦屋ー」が次々と取り壊され始める。
    ~60年代  まだ木や瓦が傷んでいるわけでもなく「頑丈」なのだが、
            その家に住むニンゲン達にいわせれば、そうでないらしい。
            後輩「赤瓦屋ー」達は、壊されている最中、悲鳴を上げていた。
            もちろん、ニンゲンには聞こえない。
            以降、「ワタシ」の後輩・仲間は減る一方となる。

平成〇〇年    :先代「おじぃ」をついだ、長男が亡くなる。
            長男は「ワタシ」が生まれた頃は、みーちなやー のわらびであった。

平成〇〇年   : 長男の子供達は、「ワタシ」からすでに独立結婚して別に住居を
            構えていたので、「ワタシ」の住人は、長男嫁だけとなった。  
            もちろん、嫁も高齢になっている。
            
平成〇〇年   : 長男が亡くなってさらに数年後
           すでに「おばぁ」になっているが、長男嫁が老人施設に世話になることになった。
            「ワタシ」のところに住むものは、誰もいなくなった。
            旧盆、旧正月など行事があるときにしか、親族は来なくなった。
            来るたびに親族は「おばぁ(長男嫁)」が亡くなったあとの、
            「ワタシ」の処遇を相談している。

平成〇〇年   :老人施設にいた、長男嫁の「おばぁ」が亡くなった。
           「ワタシ」のところに帰ってくる、家人はいなくなった。
           屋敷の中に植えられていた、しーくぁーさーの木が、
           しばらくして枯れた。

平成〇〇年   :しばらく、住人不在のまま「ワタシ」は生きてきたが、
           このたび取り壊しが決まった。
           まだ、「ワタシ」としては、特段悪いところはなく、現役のつもりであるが。
           家を建てた先代おじぃのひ孫にあたる、本土就職した子が取り壊しを
           反対したらしいが、それ以外はほぼ親族の「全会一致」だったそうだ。
           まだこのうちにある「位牌」に親族が報告にきていたので知った。
          
           「ワタシ」が取り壊されたあとは更地にして、その後アパートを建てる計画である。
           「ワタシ」が生まれる前からいたと言われる、屋敷の周りの福木、
           ガジュマルなどの大木は切り倒されるらしい。
           「ワタシ」のところに寄宿している、ねずみや虫達に今回の件を伝えた。
           彼らにもうすうすわかっていたようだ。
           しかし、周辺の環境ががちがちのコンクリートに囲まれた現在では、
           彼らも行くところがないらしい
           「ワタシ」にはどうしようもない。
           本土では「築何百年の古民家」といわれる、「仲間」がいるらしいが、
           ここ沖縄ではわがままはいっていられない。
           淡々と消えいくのみである。
   
   
    
   
            


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この記事へのコメント
  雨戸のしまった
 
 声が無い 朽ちてゆく

 ってのはくやしいな。
Posted by きっちゃき at 2006年11月28日 20:17
きっちゃきさん、・…赤瓦屋ーの声なき声がきこえますか・・・
Posted by 瓦屋根 at 2006年11月30日 09:03
首里じょーよーかー大切でないか

島口といっしょで なくなったらふーじーねーらんせ
Posted by きっちゃき at 2006年11月30日 17:43
 
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