K島の思い出・・・4

瓦屋根

2005年12月17日 13:39

漆喰瓦屋根とヒンプンのある風景(中城村)


 問題のうーじ畑である。
ひどい雑草だなあ、と思いつつ、それでも1週間から10日では
帰れると計算していた。
経過やその作業中のもろもろの感情・思いをさしおいて、
結果からいうと、草刈になんと1ヶ月近くかかった。
 畑は、幅が20m、奥行きは70mくらい、那覇から少し出た地域の農地であればあのへんでも
このへんでも普通にみかける改良地である。

 朝8時から夕方6時までの1日で、作業が畝道1列の3分の1も進まないのである。
手入れのよく行き届いた畑は、はぎ落した枯葉が土壌を覆い、下草(雑草)が生えにくくなっているのだが、この畑は半端ではなかった。

 うんざりして泣きたくなるときがあった。
 
 作業の期間中、昼2時過ぎに遠くに見える海から、フェリーの汽笛が聞こえてくる。
汽笛自体には、本来なんの感情もないものであるが、聞く人達のそのときの状況によって、さまざまな感情が喚起されるようだ。
「いってらっしゃ~い」 「元気でまたな~」
「いってしまった…」 「成功して帰ってくるぞ…」
「あさってもどるよ~」 「いつ帰ってくるの…」  etc

「え~ん!草刈終わっていつ帰れるの~(泣)」

 幸いにして、草刈中ハブには遭遇しなかった。
沖縄に来たことのない本土の人が、よく「ハブが恐いから」というのがいるが、
うちなーんちゅでも「こどもの国」や「玉泉洞」などでしか見たことないやつも多いのだ。
そういうひとは、もともと来る気はないのであろう。

 それで、「ハブ」なのである。いや単に「蛇」でもいい。

 さすがに作業はすべて終わり、明日には本島に帰ろうかと思った矢先、K島を回っていないのに気がついた。
 せっかくだからと、原付を借りて1周したときの出来事である。

 名所「阿嘉のヒジミジ」(テレビサンデーモーニングでも紹介されていました)の碑があるあたりが小さな駐車場になっている。
 その周辺は樹が生い茂っているのだが、下に向かって歩道があった。海岸まで続いているのだろうと思いその道を降りていった。 
 うっそうとした亜熱帯の樹々は歩道周辺を覆いつくしている。
思ったより長い道のりであったが、下りきったあたりが、集落の屋敷跡になっていた。
 一周道路上からは見えなかったのである。
何百年も前の古代の集落跡だろうと勝手にインディジョーンズ気取りの考古学者の気分になっていた。ずいぶん後になって知ったのであるが、そこは「下阿嘉」集落跡で、昔といってもつい数十年前に落石の危険で移動したと聞いた。
(島の方様、間違っていたら遠慮なく訂正してください。)

 集落跡を抜けると、そのまま浜辺に続いていた。結局たいした探検ではなかったようで、来た道を戻り、集落跡を通り抜け、のぼりの道に入りかけた…

とたん、目の前で、「しゅるしゅる」と何かが横切ったのである。

「蛇」であるのは間違いない。「ハブ」かどうかわからない。
 それで、樹の枝を折り、その枝で前をぱさぱさたたきながら用心して歩いたのである。
そして、ちょぼちょぼ歩き始めたとたん、なんとまた「しゅるしゅる」と前を横切ったのである。

2度あることは? 3度? 4度?

「ひえ~っ!」
 そのとき、若者は無知か無謀か、島ぞうり履きに七部ズボン姿で、膝からしたは、いわば裸同然であったのだ。当時、K島病院があるわけでなし、かまれたら、運が悪けりゃ野垂れ死に、助けられてもヘリコプター搬送でニュースで笑いもの。

 こりゃたまらんとあわてて横向きではないが、派手な欽ちゃんばしりで一目散に里道を駆け上ったのであった。



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