大宜味小太郎さんの思い出

瓦屋根

2007年03月11日 20:42



うちなー芝居の名優、大宜味小太郎さんが亡くなられて、久しい。

3月4日のサンシンの日前後になると、この方のことを思い出す。

なぜ、その日で思い出すのかといえば、知っているヒトのなかでは、

当たり前のことであるが、飛ばしてもつまらないので

そこから話をおこしておく。

サンシンの日の提唱者である上原直彦さんは、ウチナー芝居の名作「丘の一本松」の脚本を作った。

20代である。

いまだからウチナーグチのプロフェッショナルだと思われている上原さんであるが、

実は就職してまもなく、ある取材の失敗でクビを覚悟で必死でウチナーグチを勉強したのだそうだ。

その結晶が、「丘の一本松」であるといっても、いいのかもしれない。

そして、その「丘の一本松」を演じたのが、大宜味小太郎さんであったのはいうまでもない。

瓦屋根は学生時代、とある新聞社の企画する「芸術祭」の舞台裏方のバイトをしたことがあった。

芸能芸術の各分野でなにかの賞をもらった方々が、出場する舞台である。

琉球古典、邦楽、クラシック(洋楽)、琉舞、日舞、バレエ、芝居といったいろんな分野だったと思う。

その舞台のある日、大宜味小太郎さんと超ニアミスをしたのである。

そのとき瓦屋根は幕下で控えている、直前の出演者達に舞台に出る合図を出していた。

新人賞あたりをもらったのであろう、あでやかな琉装のきれいなおねーさんが瓦屋根の前で待機していた。

かちんこちんに 緊張している。

そのすぐ近くで、つまり瓦屋根の目の前であるが、そのあとの出演者であった、女形姿の大宜味小太郎さんがいた。

瓦屋根は実物の小太郎さんを見るのは初めてだったが、そのときの印象は、「意外にちいさいな」
であった。

だが、存在感はすごい。

瓦屋根は面識もないし、通でもないのに、小太郎さんがいるだけできんちょーしていた。
 
おおものだなあと、瓦屋根が様子をみていたら、小太郎さんは目の前のかちんこちんの

おねーさんを笑顔で励ましていた。

小太郎さんもほんとはプレッシャーが多少はあったと思うのだが、

おねーさんは深呼吸もさせられて、舞台に送り出されていった。

送り出すときの、この小太郎さんの笑顔をいまでも時々思い出すのである。

目が細くなった笑顔がなんともいえずやさしさにあふれ、

あの笑顔が、ウチナーの芸能を志す小太郎さんの後輩達に送られているような

気がするのである。

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