なくなってからでは守れない・・・

瓦屋根

2006年10月06日 21:59



粟国島から帰ってぜひ一度は行きたいところがあった。

海へ行くのは好きだが、釣りはあまり好きではない。

幼い頃、父親に写真のところへ、ときどき歩いて連れていかれた。

大潮をねらわないとそこにはいけない。

そこは、かつてアジケー(しゃこ貝)、みーばい、など海の幸が豊富であった。

もちろんさんご礁も立派であった。

天然のモズクは、その場で塩水ですすいでちゅるちゅると食えた。

釣りがなぜあまり好きではないかというと、たどり着くにも幼い子供にはしんどいしのに、

そこで竿の仕掛けを根がかりさせると、父親は勝手にきれて「ばか、あほう」と怒鳴り散らすのである。

それが、一種のトラウマになっているのであろう。

ここへきたのは、それ以来、うん十年ぶりである。

期待はしていなかったのだが、いちおうシャコガイがとれるように、はつりももってきた。

車をおりて、海岸から潮のひいた沖へと歩き始める。

えんえんと続く、サンゴの残骸。

ときおり、なまこ、クモヒトデなどはみかける。

しかし、なんということだ。

豊かな海とは冥王星より程遠い、不毛な海。

何キロ沖に歩いたのだろうか、リーフの外側近くになって、

やっとこさちらほらとサンゴや、コバルトスズメが見え出した。

これでは北谷の海岸のほうがはるかにきれいである。

ひき返しながら、素もぐりダイバー故吉嶺全二さんのことを思い出した。

かなり前から、ひとりで沖縄の海を守ろうと活動したかたである。

二十年以上もまえに、吉嶺さんが時系列で撮ったサンゴの定点観測の写真展を、

久茂地公民館で見たことがある。

あのときのショックを思い出したのである。

今回は悲しみを通りすぎて、幼い頃に罵倒された阿呆状態になっていた。



吉嶺さんの業績があるサイトみつけました。

参考に見てください。

素晴らしい写真です。

http://coral.h2o.co.jp/zenzi.html

関連記事