守りたいもの
私がいまいるかーら屋ーは私が去ると、定住者はいなくなり、さびしいことだが無人となる。
家主さんたち兄弟姉妹は元の家主であるお母さんが亡くなってからは盆正月法事そしてそれ以外でもなんとか時間を見つけては誰かが二・三日でも帰省して家を守ろうとしている。
その気持ちの表れが、ムチジェーク(屋根佐官)の私に赤瓦屋根の修繕と漆喰の塗替えというけっして安くない工事の依頼という行為に表れる。
お金に余裕があるわけでもないにもかかわらずである。
正直このような家主さん達の気持ちには頭が下がる。
この島には無人のかーら屋ーがまだ残っている。
でもほとんどがほったらかし状態。屋敷の草刈りなどの管理は帰省の際まめにやるようだが、お金をかけてまでは瓦屋根の管理はしない。屋根の管理はしっかりしないで漏ったままにすると、屋根の木材が腐り始める。あとはご想像のとおり朽ち果てる一方である。
これはこの島だけの話ではない。本島でもよくあるパターンである。
ラジオで聞いたのだが、ある有名な建築家が「都市の記憶」とかいって都市は時間の経過とともにそこにかつてあった時代を表す建築物はその記憶を残すためにも保存するなりの努力をすべきである、というような話であった。
これは都市だけの話だろうか?
ここ粟国島でも通じることではないのか?
写真のかーら屋ーは本島の古民家でもほとんど見掛けないような規模と作りである。
屋根の建坪は五十坪ほど。
おおきい!。
軒柱には丸太のままで太いチャーギ(イヌマキ)が使われている。
垂木も製材されてない丸太のチャーギである。
なかなかたいした家である。
由緒ある家のようだが、残念ながら定住者はいない。
棟筋の漆喰が遠めに見てもひび割れているのがわかる。
旧盆の際ひとがいたようなので、まったくほったらかしではないようだ。
でもこうなるとどこまで家ががんばってたっていられるか時間の問題である。
以前粟国島に魅せられたプロの写真家がかーら屋ーを残す努力を行政も含めて島の誰も言い出さないと嘆いていたのを思い出す。
まあ私はずっと嘆きっ放しなので、たんたんと開き直っていますけど。
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