かつての普通の上等・・・赤瓦・・・

瓦屋根

2006年10月14日 11:56

「瓦」が日本で始めて用いられたのは、寺院建築からだという。

1300年以上前である。

仏教の経典、仏像、塔を守るため、大陸から先進の建築技術が導入されたという。

当時の工人たちのすごいところは、そのまま技術を受け入れるのではなく、

雨の多い日本の風土に合わせ、建物の軒を深くして、湿気から建物を守る工夫をしていたことである。

そのために、世界遺産「法隆寺」(1300年以上前の木造建築)を始めとした、

世界にもまれな数々の木造建築が残されてきた。

そのなかで、「瓦」が風雨から直接建物を守るという大きな役割を果たしたのはいうまでもない。

鑑真が建立したという奈良の「唐招提寺」の金堂は今大改修中である。

驚いたのは、創建時(1300年前)の瓦がまだ残っているということである。

残念ながら、沖縄にはそのような建築物はない。

戦前、首里城を始めたとした当時の国宝に指定されていた数ある建築物は

先の大戦ですべて灰燼に帰した。

柳宗悦が世界にも誇れると絶賛した首里・那覇の赤瓦住宅の建ち並ぶ風景も消滅した。

それ以外の地域でも赤瓦屋をはじめとした民家は相当な数が破壊されたという。

だから、当然のことながら、沖縄で六十年以上前つまり終戦前の建築物が残っているのは

大変珍しいケースとなる。


一般庶民が赤瓦を使えるようになったのが120年くらい前だから、

当時うちなーんちゅがかーらやーを作りたいと思うのは、

那覇や首里士族が住んでいた、よりいい家、頑丈な家に住みたいという憧れのような、

世俗的なところがあったともいえる。

いまコンクリヤーがおおはやりなのと、実は大きく変わっていないかもしれない。

それが結果的に、とりたてて木造赤瓦屋根住宅を大事にするわけでもなし、

また手放しで賞賛しないというところにもでてくる。


そしてまだまだ使えるかーらやーでも、

コンクリヤーに建てかえる事をあまりためらわない。


少数ではあるがこだわりのある人、

経済的に建てかえることのできない人、

こだわりもないけどただ建てかえる気がない人、

達の妙なミスマッチのおかげで、

一般のかーらやーは生き延びている。

これは意外に思う方もいるかもしれないが、ほんとうである。



極端な話でまたおおざっぱだが、うちなーんちゅは物の永遠性にこだわらないのだとおもう。

日本本土では、先に述べた世界最古の世界遺産である寺院木造建築群が大事に残されているのに、

沖縄では世界遺産である聖域「斎場御獄」は、

人工物は石畳と賽銭箱よりも小さい香炉以外なにもない。

古い集落に数あるウタキやウガンジュなども、ちょっとした小祠があるくらいで、

ましてや小祠さえもないところも多いのである。

それが大事に守られた聖域なのである。

岡本太郎はそれに大変驚いたらしいが、しかし古代日本人の精神性にふれた思いがし

感動したとどこかで述べている…。(ちょっとあやしくなるので深くは突っ込みません)


だから、なんだって?

という声が聞こえてきそうですが、

どんまい、どんまい。

↑ 全々意味不明…



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