2006年09月25日

食えませ~ん

うちなーんちゅでも幼い頃、海外沿いに自生するアダンに実るオレンジ色の大きな実を、

「パイナップル」と思っていたひとは多いのではないかな。

うまそーだけど、食えないよ~。

毒あるしが。

粟国島マハナ岬の真下に群生するアダンの葉の合間から絶壁を見上げて撮った。

もちろん、てっぺんは90メートル先。

  

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2006年09月25日

たまには仕事の話

粟国島での2件目の仕事です。その一部です。

あちこちの木が弱り、そのため一部瓦も滑り落ちていた。

その部分の瓦をはずし、

一番下段のはな瓦を支える弱った鼻板や破風板を取り外し、

あらたに木を加工、うちつけて、

葺きなおし。






ひとりでやるにはすこし面倒でした。  

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2006年09月24日

粟国島からの持ちかえり

いまだから言うのだが、実はミーバイの魚汁をもらって食べたときに、

久しぶりの魚に大喜びで、つい食べ方がせっかちになり、

魚の骨を喉にかからせてしまった。

すぐさま、ご飯を飲み込んで落とそうとしたり、逆に箸やさじ、

おまけに指を喉に突っ込んで取ろうとしたがとれない。

繰り返していると、しまいにはげーげーして、吐き出す唾液からうっすらと血が出て来た。

うかつだった。

前科が過去にあったのである。

そのときはグルクンの小骨を喉奥にかからせ、耳鼻咽喉科にいってとってもらった。

看護士たちが私の周囲を取り巻いて様子を見ていたのであるが、

病気でもないのでとても恥ずかしかい思いをしたのである。


今回も早くに診療所にいったのだが、すでに患者がいっぱいいる。

雨だったがそのまま素通りして散歩した。

しばくしてまた来たら、患者さんはいない、よかったと思って、

窓口で看護士さんに症状の説明をした。


こっちは当然治療してもらえると期待していた。

ところがである。

喉の場所を聞いたとたんに、看護士は「難しいですね、前にも同じことがあったのですが、
取れなかったので、今回も取れないと思います」という。

まさか予想外の返答にこっちは、「できるかどうか先生に聞いてくれ」と懇願に近い形でお願いした。

そうして、看護士が聞いてきた返答は、「場所が奥なので、耳鼻科の専門医で内視鏡を使わないと無理」といわれた。那覇に帰るときにそこで受診してくれという。

思わず不愉快な喉元にまである言葉が出かかった、「や〇ーかー!」って。

なぜかというと、前回は今回と場所も同じで、医者は内視鏡など使わず、口を大きくあけて

ピンセットでとったのである。

だから頭はいいのであろうが、失礼ながら「〇〇か!」とおもってしまったのである。

あれから二週間経つが、まだ残っている。

どうしよう、耳鼻科行くべきか、それともそのまま持ったままにするか。

もう痛くないしな。  

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2006年09月23日

さよなら粟国島また来ます。

今日粟国島を去る。

五月連休明けから今日まで、盆の一時帰省を除くと、四か月余りの滞在であった。

思えばいろんなことがあった。

梅雨の大雨で仕事がほとんどはかどらず悶々とした日々。

逆にあまりの暑さにふとぅふとぅーして、ひどい大雨が恋しくなったこと。

ねずみとのバトルでやっつけたのはいいが、台風の停電で足指をかまれる逆襲を受けたこと。

虫がいっぱいよってきたこと。

枯れ木枯れ葉を野焼きした時、一度に焚きすぎて炎が電線まで届きそうになってあわててバケツの水をかけたこと。

向かいの幼稚園生の女の子にオカマ呼ばわりされたこと。

すきなカレーを九回も作ったこと。しかも毎回大量に。

巨大きゅうり「もーうぃ」を大量にもらって調理に困ったこと

今となってはみんないい思い出となった。

港の待合室で斜め向かいの嫁さんと子供たちがいたので乗船前に声を掛けたが素っ気ない挨拶をしてしまった。

くどくど話すと視界がわるくなりそうだったからだ。

さよなら粟国島、でもまた来るさぁ。


これをもって粟国島からのモブログは終了します。

次回からは久しぶりのPCから投稿です。  

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2006年09月22日

蚊撃退!?

夕方集落を散歩していたら倶楽部(小字の公民館みたいなもの)から草刈り機のような音が鳴り出した。

蚊退治の薬剤を撒く噴煙機の音だ。
今年の夏から二度目である。

集落の一軒一軒を回って散布していくのだから屋敷中がスモーク状態となる。

おまけにフマキラーかばーがぷんぷんする。

自分のいた本島では駆除は下水に薬剤を撒いていたと思うが、ここでは下水は乾いて蚊の発生源にはなりにくい。

したがって蚊の隠れている周囲の福木並木などの屋敷林が散布の対象となる。

青年会のメンバーが数人でやっているのだが、マスクをかけていて結構慎重である。

こっちは住民票もないのに薬剤散布してもらった。

あわててお疲れ様の意味で缶ビールを数本わけたがもっと人数はいたらしい。


しばらくして屋敷の回りを歩いたら、「ぶ〜ん」と蚊が寄って来た。

ん?効き目あるのかな、と思ったら青年会のみんなに悪いので忘れます。  

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2006年09月22日

ウタキ



粟国島には九つのウタキ(御獄)があるという。

字西集落の西のはずれ(古くはその一帯が発祥地らしい)の南北に走る断層があり、古代の海岸線だったらしい。

写真のウタキはその断層下にある。

いまいるかーら屋ーから歩いてすぐ近くにある。

一番目が向かって右側、次が左側である。

断崖は高さ20mほどで右側はひとが立てるほどのガマ(洞窟)になっており昔はそこから泉が湧いていたらしい。

左は突き出た断層が縦に割れ込んでいる。
そして岩をくりぬいた小祠がみえる。

本島南部のセーファーウタキ(斎場御獄)と規模は比較にならないほど小さいが、不思議な雰囲気が漂う空間である。  

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2006年09月22日

観音堂

港のある島の玄関口、浜集落の観音堂へ行った。

「観音」堂なのだが中には仏像はない。

中に安置され拝まれているのは、梵字が刻まれた石碑である。

豊見城には梵字の石巌当があるが、ふたつともどういう理由で梵字なのか不思議だ。

ありがたい文字と思われたんだろうけど、どういうひとが持ち込んだのかとかいろいろ想像したらなんだかわからなくなってきた。

それがありがたいんだろな。

おれだけか(-.-;)  

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2006年09月20日

暑い粟国寒い粟国

那覇と粟国では温度差は1度から2度はあると、周囲のしまんちゅはいう。

暑い時は那覇より暑く、寒い時は那覇より寒いということらしい。

つまり暑い時は那覇が30度だったら粟国は31度か32度あるということになる。

たしかに七月初めの頃、外があまりにも暑くてかーら屋ーの中がまだましという気がしたのだが、それでも室内で34度の時があった。

ということはその時外は35、6度あったのだろう。
あんまり暑くてぶちくんしそうな時が何回かあった。
那覇で35度が出た日があったがそのときの粟国はさらに暑かったと思う。

昨日は夜中ひんやりしていたから、軒下に温度計をおいてしばらくしてみたら20度だった。

涼しいというより寒かった。

冬の寒い時期はどんな寒さかな。
風が強かったらさらに寒いんだろな。

今日のマハナ展望台に沈む夕日はなかなか幻想的であった。  

Posted by 瓦屋根 at 19:21Comments(0)TrackBack(0)粟国島

2006年09月20日

主のいないかーら屋ー

ここに映っているかーら屋ーは私のいるすぐ近くにある。

大きな屋敷内には、今はご覧のとおり雑草が生い茂り、主はいない。

この家を建てた主はうちなーでいえば、ハマヤー(がんばりや)だったのであろう。

かつての牛小屋か馬小屋が広いコンクリート作りで、しかも農具などを納めたであろう倉庫も同じくコンクリート作りで大きい。

しかし母屋であるかーら屋ーの正面の瓦は、今は軒桁から下はきれいに落ちて、むき出しになった垂木にブルーシートをかぶせている。
(写真は後ろ側から撮影)

元の主の子供達はすべて島をでてそれぞれの場所で定住している。

たまたま盆の前後で本土から帰省していたひとりの息子さんに補修の見積もりを依頼された。

お互い無理のない数字を出したのだが音沙汰なしである。(正直請けても大変)

仕事がとれるとれないの返答は別にして、生家であっても定住者のいない家のことを、残された子供達で相談しまとめるは結構大変らしい。

それでもかーら屋ーは親族・縁者が来てくれるのを待っている。

と思う。

ほんとにそう思う。  

Posted by 瓦屋根 at 01:28Comments(2)TrackBack(0)粟国島

2006年09月18日

台風の被害

台風13号で本土では結構な被害が出ているようだ。

昨日は台風一過で意外にもからりと晴れ上がっていたので、知人と島を回って見た。

島の南側は波はおとなしいが北側はサーファーが喜びそうなすごい高波だ。
粟国に直撃した場合の波を想像したらゾッとする。

島での被害といえば、停電があった。

夜十時前に停電して朝方五時前に復旧。

そのほか、停電中の夜中、真っ暗な仏間で寝ていたらねずみに足指をかじられた。

まあ傷はないけど、それにしてもわじわじーするな。  

Posted by 瓦屋根 at 17:43Comments(0)TrackBack(0)粟国島

2006年09月15日

しかます!

朝起きたら、かーら屋ー正面の軒柱に引き込まれている電線と少しはなれた柿の木の枝の間に大きな蜘蛛が巣をはっていた。
また以前から同じ柿の木と屋根の間にも大きな蜘蛛が巣をはっていたので、この際目障りだから竹ぼうきで蜘蛛を追い出し二つとも巣を取り払った。

しばらくして軒下の縁側に昨日干した洗濯物を確認しようとしたら、びっくりした。

目の前で、さっき追い出した一匹の蜘蛛が二本の軒柱の間に巣を作っているのである。
毒はないと思うので害はないはずだが、写真でもわかるように子供の手のひらくらいはある。

しかますっさ〜!
もちろん出てってもらいました。  

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2006年09月14日

初めての船旅

生まれる子牛がいれば売られて行く子牛もいる。

生まれて八か月経つと子牛はセリにかけられ新たな飼主へ引き渡される。

写真の子牛がそうである。

牛たちにもわかるのであろうか、飼い主が来ると餌がもらえると思い寄ってくるのだが、子牛を運搬するゲージが小屋の近くに入ったとたんに、牛たちはさっと散っていった。

運搬予定の子牛はたまたまなのかあるいはわかっていたのか、少し前からどこへいったのか行方不明である。

飼い主が餌を与えて牛たちを集めたら行方不明の子牛ものっそりと現れてきた。

子牛の手綱を引っ張って誘導すると、普段飼い主が引く場合おとなしくついて行くのだが、今回はあきらかに嫌がっている。

セリに出された子牛は初めての船旅で、もう二度と生まれ故郷粟国島の地を踏むことはない。  

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2006年09月12日

モウーいいかい?

アカマタ出現の日に生まれた子牛です。

「初めまして、モモと申します」

てのはモウーやめて。うそです。  

Posted by 瓦屋根 at 17:03Comments(0)TrackBack(0)粟国島

2006年09月12日

時間の止まる島

某放送局のローカルニュースの冒頭や台風情報で泊港の様子が映る。

久米島フェリーや、渡嘉敷、座間味行きのフェリーは映るのだが、同じ港であるにもかかわらず肝心のフェリー粟国は角度が悪くて画面には出てこない。

泊港の窓口では渡嘉敷、座間味行きの観光客でにぎわっているが、夏休みなのに粟国行きはすっからかん。

粟国島に来た頃はあんまり観光客がいないほうが島が荒らされないでいいじゃないかと思っていた。
でも島のあちらこちらを回って感じたことは、やっぱりある程度よそから人がこないと活気がでないということであった。

かつて島には人口は多い時で四・五千人はいたという。

いまでは千人いるかいないかである。

六月にフェリーを見送りに粟国港へいった。

日曜だったので本土からの観光客もぼちぼちいた。

年配の方々であったが、この島でいい思い出ができたのであろう、しきりに港に残ったひとびとに手を振っている。

船が港を出て防波堤に隠れそうになっても振っている。

しまいにはデッキの最上階にあがりおまけに肩車までして手を振っている。


マイナーですが、いい島ですよ。  

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2006年09月11日

さて粟国島はどこにあるでしょう?

そう聞かれて答えられるうちなーんちゅは意外と少ない。

宮古、石垣、与那国、久米島、大東島などは天気予報でも登場するのでたいていの場所は知られている。

渡嘉敷、座間味の慶良間諸島は那覇から眺められるので知らない人がいたら先島出身者以外ではよっぽどのひとである。

伊江島は海洋博会場のちゅらうみ水族館からでかでかと見えるし、伊是名島、伊平屋島はマイナーではあるが琉球王朝とゆかりのある島なので粟国島よりはるかによく知られている。

粟国島への場所はもとよりアクセス方法さえ知らないひとが多いのである。

船が伊是名、伊平屋へいく本島北部今帰仁村の運天港からでると思っている人もいるくらいである。

実際は、小さいが飛行機も就航し、船は毎日運行で有名どころの久米島、渡嘉敷、座間味行きの船と同じ、泊港である。

那覇から北西へ約六十キロ。

二時間の船旅である。

詳しい情報はインターネットで「粟国村役場」のホームページが検索できますのでそれを参考にね。

それにしても知る人ぞ知る島だね。  

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2006年09月11日

視界良好!

青空とはいかないがひさびさに視界がいい。
くっきりではないが、久米島、渡名喜島、慶良間諸島そして南東の水平線には本島がぼんやりと見える。

マハナ岬から港方面を見下ろしながらとった写真のずっと先には、肉眼で伊江島たっちゅうもうっすらと見える。

涼しい風で風力発電のプロペラも元気に回っている。  

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2006年09月10日

エンドレスのリフレイン

かっこよく背伸びする、山羊。

♪しろやぎさんからお手紙ついた、くろやぎさんたらよまずにたべた、
♪しかたがないのでお手紙書〜いたさっきの手紙のご用事なあに?


さあて、このうたを白と黒を繰り返して、だれとでもいいです。
交互にうたってください。

小さいことがばかばかしくなるくらい笑います。

試してみたら?  

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2006年09月10日

水面を歩く

島の北側の海岸近くに、僧侶が住んでいたといわれる鍾乳洞窟がある。

以前は整備されていなかったので物好きな他は中まではいれなかったのだが、いまでは洞窟の奥まで階段が設置され、おまけにライトアップまでされて、なかなかの観光スポットある。

沖縄本島南部の玉泉洞より規模は小さいのだが、入場料なんてものはいらない。

中に入ると、クーラーが利いたようにひんやりしている。

正面に仏像が安置され、その奥の空間には僧侶の遺骨が入った厨子がめのようなものがみえる。

仏像の手前で階段は二手に別れて降りている。

長い年月をかけてできあがった洞窟は、カーテンのひだのような鍾乳石、動物の牙がはえたような鍾乳石など神秘的な雰囲気を漂わせている。
ところで、ここに住んでいたといわれる僧侶は、那覇である賭け事に破れて、この島に流され、一生を終えたという。

この賭け事というのが、不思議な話で、僧侶同士で、仏の功徳があれば水面を下駄履きであるけるということで問答となり、しまいにはできなければ打ち首という賭け事になったという。

那覇の奥武山あたりで勝負は行われたが、僧侶が呪文を唱えほんとに水面を歩き始めたので、もう一方が呪文をやぶらんと法術を唱えたため、僧侶は最後の一足を海面に突っ込んで濡らしてしまった。

それで賭けにまけて打ち首になるところであったが、そこまで歩いたことは大したものであるということで、粟国島に流されることになったという。

この僧侶は雲水和尚といい、読経三昧で暮らした洞窟は洞寺(てら)と呼ばれている。

和尚は近くの子供たちや青年たちと遊んだり話を聞かせていたという。
いまでも和尚さんと仲のよかった人々の子孫が毎年旧の九月と正月には拝みに来るという。

それにしても、水面を歩く賭け事とは、なんとも不思議だけど無茶な話だ。  

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2006年09月08日

粟国の景勝地

昨日は朝から雨であった。小雨であったので散歩に出た。
島の南岸の板木那原海岸に下りる。
村指定の景勝地にたがわず、沖縄本島ではみかけない別世界に来たような景観である。

火山岩が浸食された海岸なので、浸食された岩が、色々な表情を見せている。

一枚目はそこからずっと西にみえる筆ん崎(マハナ)に向かって撮ったものである。

しばらく海岸を西に向けて歩くと、二枚目の「やまとぅがー」にたどりついた。

海岸に突き出た大きな岩が垂直に割れたのかあるいは浸食されたのであろう。高さは15メートルくらいか。

地形は違うが沖縄本島南部の世界遺産「せーふぁー御獄」を連想させる。

そこら一帯は知人が小さい頃に台風時に飛び込んで遊んだというところだ。

三枚目はやまとぅがーの中に立って海岸の外を撮ったものである。

ここまで来て雨足がひどくなった。
すぐ目の前に大きな洞穴がある。
中に五十年近く前に作られたいまでは廃屋のポンプ小屋がある。

四枚目がそれである。

少しばかり怪しい雰囲気がただよっているが、背に腹は代えられない。

一時間ばかりそこにいたが、雨が上がるのに待ちきれず飛び出して帰った。

久しぶりの大雨だったな。  

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2006年09月07日

もったいない

前にもいいましたが、瓦屋根に腰を降ろして作業するから、ズボンの左側のお尻が破けてくる。

かっこつけて仕事するわけではないから、このまま捨てるにはもったいないさぁ。

幸いこのうちには小学生の家庭科に使われた懐かしいプラスチックの裁縫箱があった。

ボロボロになったズボンを解体して、当て生地をつくり、裏地をあて、表には写真のとおりさらに大きく生地を縫い付けた。
何十年ぶりかの裁縫だったのだが、ショックだったことがある。

針の穴が見えないのである。

だから何遍も針に糸を通す自信がないので、縫い糸を長くしようとする。
1メートル以上で縫っていると、生地に糸を通すたんびにまちゃぶって(からんで)しまうのにはまいった。

それでもなんとか3着は直した。

それまでに、折った針二本、曲げた針二本、貧血検査みたいな針刺し無数、であった。  

Posted by 瓦屋根 at 21:43Comments(0)TrackBack(0)粟国島