2007年08月12日

勘違いセレナーデ

中学生のころとある歌のコンクールを見学した。

女子のソロは「セレナーデ」が課題曲であった。

参加者分の「セレナーデ」を聞いて、すこしあきがきていたなかで、

学校は違うがとてもうまかった女子中学生がいた。

そういうイメージがあったので、この歌は女性が歌うものと思っていた。

最近、この歌の旋律が頭の中をかけめぐり、

鼻歌で歌っていたら、どうしてもうまい演奏が聞きたくて、

YOU TUBE で検索してみた。

どうしても検索があたらないので、

キーワードを洗いなおしてみた。

なんと、作曲者を「モーツァルト」だと

勘違いしていた。

作曲者は「シューベルト」だった。

長年「モーツァルト」だと思っていたのだから、おおぼけである。

おまけにこの歌は男性が歌うケースも多いらしい。

プロの成人男女の歌もうまくていいのだが、

感情がこもりすぎたり、色気がありすぎたりで

一回きくだけで、ごちそうさまになってしまう。

かえってきれいなさっぱりした雰囲気の

ウイーン少年合唱団のボーイソプラノがいい歌いっぷりだったのだが、

どこへいったのか、さがせなくなった。

で、たまたま見つけたのがこれ。

http://www.youtube.com/watch?v=VOPjbsFL1K0

うーん、ロマンチックでいいピアノだね。

いまさら、映像の世界とは無縁な瓦屋根ですが、

バックの風景はいいね^^





  

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2007年06月12日

中島みゆき

数いる女性ミュージシャンのなかでも、ユーミンと中島みゆきは別格である。

瓦屋根はどちらが好きかといわれたら、中島みゆきと答えるだろう。

みゆきが好きなひとはどちらかというと、根暗だといわれるが、

瓦屋根もそうなのかもしれない。

You Tubeで「地上の星」をみていたら

やっぱりいい歌だなと思った。

瓦屋根はずいぶん前に、中島みゆきとわずか1mほどのニアミスをしたことがある。

彼女が沖縄でコンサートをしたときに、ステージ設定と会場案内のバイトをしたことがあった。

そのとき、ステージでうろうろしている瓦屋根のそばに現れ、スタッフと話し込んでいたのだ。

当時のイメージとしては、結構身長高いなぁと思ったことと、いばらず気さくで飾り気のない話ぶりに、

当時こわっぱな瓦屋根は感心した覚えがある。

瓦屋根の青春「時代」のひとこまである。



最近カラオケは歌わないが、いくと歌ううたがある。

「ガサミ嬢のララバイ」

まちがい、

「アザミ嬢のララバイ」

それと、「時代」








  

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2007年05月29日

司会

きょうから仕事が始まった那覇市内の寺で、

瓦屋根は告別式の司会をしたことがある。

どうしてもというので、断るわけにもいかず、

ひきうけたのであるが、素人なのでなかなかむずかしいものであった。

元気よくしゃべるわけにもいかず、悲しみにのまれてもいけない、

ただたんたんと厳粛にすすめないといけない。


今回の寺の仕事が入るという話は前もって聞いていた。

本部町の現場から帰りの車の中でのことである、

瓦屋根が以前この寺で告別式の司会をしたことがあり、

こういう司会は結構気を使うよね、とはなした。

すると同乗のまじめで話べたな先輩職人が、自分も前にここでやったことがあるといってきた。

そのときの先輩職人はあまりの緊張で「ぶちくん」しそうで、

自分もあの世にいっしょに連れていかれるんじゃないか思った、と

笑うに笑えない話をしていた。

結局いっしょに笑っちゃいましたが・・・・  

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2007年05月24日

ウチナー野菜と屋号

いまでこそ、ゴーヤー、シブイ、ナーべーラーは、

ウチナー料理の定番の食材として認知されたが、

瓦屋根が幼い頃は、あまりに当たり前に食べていて、

しかも、ちょっとした庭があるうちでは普通に栽培していたので、

買ってまでは食べる野菜ではなかった。

いまでは買うようになったが、さすがにゴーヤー1本二百円とかの正札をみると

手が引っ込む。


幼い頃、両親はもちろんのこと周囲のニンゲンも

よく食べる野菜を、

タマナー(キャベツ)、ネリ(おくら)、シブイ(トウガン)、

ゴーヤー(にがうり)、マーミナー(もやし)、ナーべーラー(へちま)

と呼んでいたので、これらは普通に全国共通の呼び名だと、

小学校高学年まで信じていた。


瓦屋根の育った家の近くに、父の知人の家がありそこの屋号は、

「ナーデラグァー」と呼ばれていた。

幼い瓦屋根は、この屋号「ナーデラグァー」と野菜の「ナーべーラー」

の違いがわからず、「ナーデラグァーのおじさん」のことを

よく「ナーべーラーのおじさん」といっていた。


和訳すると「へちまのおじさん」か・・・

でも「ごーやーのおじさん」よりましか、

それとも「シブイのおじさん」・・・


ちなみに瓦屋根は「あしながおにいさん」・・・・

おあとは、かんばしくないようで・・・  

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2007年03月11日

大宜味小太郎さんの思い出



うちなー芝居の名優、大宜味小太郎さんが亡くなられて、久しい。

3月4日のサンシンの日前後になると、この方のことを思い出す。

なぜ、その日で思い出すのかといえば、知っているヒトのなかでは、

当たり前のことであるが、飛ばしてもつまらないので

そこから話をおこしておく。

サンシンの日の提唱者である上原直彦さんは、ウチナー芝居の名作「丘の一本松」の脚本を作った。

20代である。

いまだからウチナーグチのプロフェッショナルだと思われている上原さんであるが、

実は就職してまもなく、ある取材の失敗でクビを覚悟で必死でウチナーグチを勉強したのだそうだ。

その結晶が、「丘の一本松」であるといっても、いいのかもしれない。

そして、その「丘の一本松」を演じたのが、大宜味小太郎さんであったのはいうまでもない。

瓦屋根は学生時代、とある新聞社の企画する「芸術祭」の舞台裏方のバイトをしたことがあった。

芸能芸術の各分野でなにかの賞をもらった方々が、出場する舞台である。

琉球古典、邦楽、クラシック(洋楽)、琉舞、日舞、バレエ、芝居といったいろんな分野だったと思う。

その舞台のある日、大宜味小太郎さんと超ニアミスをしたのである。

そのとき瓦屋根は幕下で控えている、直前の出演者達に舞台に出る合図を出していた。

新人賞あたりをもらったのであろう、あでやかな琉装のきれいなおねーさんが瓦屋根の前で待機していた。

かちんこちんに 緊張している。

そのすぐ近くで、つまり瓦屋根の目の前であるが、そのあとの出演者であった、女形姿の大宜味小太郎さんがいた。

瓦屋根は実物の小太郎さんを見るのは初めてだったが、そのときの印象は、「意外にちいさいな」
であった。

だが、存在感はすごい。

瓦屋根は面識もないし、通でもないのに、小太郎さんがいるだけできんちょーしていた。
 
おおものだなあと、瓦屋根が様子をみていたら、小太郎さんは目の前のかちんこちんの

おねーさんを笑顔で励ましていた。

小太郎さんもほんとはプレッシャーが多少はあったと思うのだが、

おねーさんは深呼吸もさせられて、舞台に送り出されていった。

送り出すときの、この小太郎さんの笑顔をいまでも時々思い出すのである。

目が細くなった笑顔がなんともいえずやさしさにあふれ、

あの笑顔が、ウチナーの芸能を志す小太郎さんの後輩達に送られているような

気がするのである。  

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2007年02月20日

シンディローパーを口ずさみ



いま、シンディローパーを聞いている。

タイム・アフター・タイムは名曲である。

「伝統」うんぬんの仕事をしているヒトが、洋楽?

と思うだろうが、それはそれ、これはこれ、である。

瓦屋根はタッキー似が意外なように、洋楽も聞くのである。

で、なぜシンディローパーのタイムアフタータイムなのか?

きょうは雨で仕事を中止し、読谷から帰る途中、

この曲が頭の中をリフレインでかけめぐり、思わずくちづさんでいた。

なんでかなぁ~?

と考えていたら、嘉手納基地を横切ってからであった。

ずいぶん前に、友人達と「カデナカーニバル」にいったことがある。

そのとき野外ステージで長時間陣取って、出店のバドやミラーを飲みながら

のりのりで、コンサートを楽しんでいた。

基地所属のアマチュアの音楽好きの兵士達が演奏しているのである。

みんな上手でのりのりでライブだから迫力がある。

そのなかで、「タイムアフタータイム」を歌っている、

黒人女性ボーカルがいた。

バックはうまいのだが、声はちゃんと出ていないし、調子悪かったのであろうが、

はっきりいってうまくなかった。

でも、一所懸命気持ちをこめて歌っているのが、伝わってくるのである。

瓦屋根は、この日のできごとを「タイムアフタータイム」以外にあまり印象がない。

だから、近くを通りすぎて思いだし歌いしたんだろうな。

やっぱりいい曲だな。  

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2007年02月15日

救急車



周囲から立て続けに救急車のサイレンが聞こえてきた。

急病で利用した方には申し訳ないが、高校時代のことを思い出した。

そのころ瓦屋根は、とある体育会系の部活に所属していた。

たしかインターハイに向けての放課後の校内での練習であった。

うちどころが悪く、どうやら鎖骨を折ってしまったようなのだ。

そこを痛めたとき、鎖骨の周囲はぷっくりとふくらんで痛いのではあるが、

激痛ではない。意識も普通にはっきりしている。

だから多少心得のあるはずの女子マネージャーさんが、

患部をさわったり押したりするのだが、骨折かどうか、判断できなかったのである。

ほかの部位、例えば手足の骨折の場合はかなりの激痛らしいが、

それほどの痛みではないのである。

そのまましていても、どうしようもないので、

結局、救急車を呼んだのである。

高校に救急車を呼ぶということは、

ちょっとした事件であるのだが、

野次馬じゃない関係者なのにはしゃぐやつがいた。

責任者が救急車に乗ったほうがいいとのことになったので

部長が同乗することになった。

部長といったって、生徒のほうだから同級生である。

ところがこの部長は、救急車に乗るのは初めてだからというので、

妙にはしゃいでいるのである。

病院でレントゲンをとったら、割り箸をぽっきりと折ったときのように

折り口がギザギザになって折れていて、1本の鎖骨が2本になっている。

全治何ヶ月か何週間かは覚えていないが、別に手術や治療はしなかった。

ただ痛み止めをもらっただけであった。

そのご部長は救急車に乗った経験を周囲に自慢げに話していた。

もっとも、たいしたけがじゃなかったからなのであろうが。

しかし、その後瓦屋根はこの骨折の完治あと、

立て続けにこの鎖骨を2度も骨折したのである。

1年間に3度も鎖骨骨折をした高校生って、いまだかつて

いたのだろうか?

聞くところによると鎖骨って、意外に折れやすいそうだ。  

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2006年11月25日

勘違い屋号




珍しい屋号に「フランス」というのがあるそうだ。

屋号には「自称」と「他称」があるらしいが、

この場合自称するには変だから、他人が呼び始めて

定着した「他称」の屋号なんだろう。

ところで、瓦屋根のチチや叔母がよく呼んでいた屋号に

「幸地タクシー」というのがあった。

生まれジマの実家の近くにあったらしく、瓦屋根は頻繁にこの屋号の名を聞いた。

瓦屋根とそのハハは、「幸地タクシー」なる屋号は、

てっきりタクシーを生業としているからついたものであると、

長い間信じていた。

いつだったか、ひょんなことで

「『幸地タクシー』って、いまでもタクシーやってるの?」

と聞いたのである。

そしたら、その答えが

「いったー ふらー か! タクシーあらん! 

『幸地たぁー クシ 』 るやる」

・・・へ? 

こっちは、もう「はーなー!」 である。

つまり、訳すれば 「幸地さんたちの うしろ」 なのである。

とんだ勘違いが何十年も続いていたのである。  

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2006年11月25日

旧那覇空港ターミナルビル2

瓦屋根が学生の頃だから古い話である。

友人が夏休みを利用して、ブラジルに行くといって、

空港まで見送りにいった時だったと思う。

見送りを終えて車へ戻ろうと、旧ターミナルビルの向かいの駐車場入り口に入ったとたん、

テレビのリポーターなる女性につかまった。

ほんとに「つかまった」のである。

彼女は駐車場利用者に、あるインタービューをとろうとしているのだが、

応じてくるヒトもいないで逃げられていたらしい。

獲物である瓦屋根を見つけて、今度は逃げられないように、

デートの腕くみのようにそばからつかんでいるのだ。

ほんもののデートではないものの、瓦屋根もオトコだしここまでされて

逃げるわけには行かない。

Tシャツにジーパン、はきものは片方色チガイの島ゾーリルック。

カメラが回り始める、これでヤング瓦屋根もテレビデビューか?と思った。

インタビューの中味はこうである。

「空港駐車場内に放置車両がかなりあるが、どう思うか?」

ということだった。

そのときまったくこんなこと知らなかったのであるが、

あらためて見まわすと、このままでは動くはずのないタイヤがパンクしている車、

ナンバープレートがないのやらがあったとおもう。

しかも、放置されて数ヶ月以上経つ車両もかなりあったらしい。

しかし突然こんなこときかされて、気のきいた答えができるわけがない。

「ヒジョーシキですね」

くらいしかいえない。

「駐車料金いくらになるんでしょか?」

「旅行先で病気になって帰れなくなったんじゃ?」

なんて、トンチンカンなこといえるわけじゃなし・・・

それにしても、当時の放置車両はどうしたんだろうね・・・  

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2006年11月23日

あ~勘違い!



瓦屋根の どぅしぐぁー2号が、彼女がいるにもかかわらず

手も握ったこともないころの、古い話である。

2号が彼女のうちに遊びに行った。

彼女の部屋で、小さい頃の写真などを取り出して、

あれこれと話がもりあがっていた。

彼女がもっとアルバムがあるから、タンスの棚からとってくれと

2号に探させようとした。


2号: ここかぁ?

彼女: いや~ん!
    もっと上!

2号: じゃ ここ?

彼女: ここじゃない!
     もっとうえ~!

2号: ここ?

彼女: あ~!  
    もうちがうったら~!!


突然、バタンとドアが開き

彼女のかあちゃんがものすごい顔で

部屋に入ってきたという。

・・・・ 
 
      

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2006年11月22日

旧那覇空港ターミナルビル1

3週間ほど前に旧那覇空港ターミナルビルの近くを通った。

解体中であった。

先週また通ったら、ほとんど解体は終了していた。

かつての沖縄の空の玄関口であったが、

過去のものとなってしまった。

旧ビルを知っている人は、同じ経験があるだろうが、

親戚や家族を迎えるとき、旅行シーズンや飛行機の離発着が重なると、

駐車場の確保は大変、また混雑するビル内でのお迎えをするにも一苦労であった。

大阪にいる瓦屋根の叔母が何十年ぶりかに、

沖縄に帰省したときに、出迎えたときの話である。

ロビー内の人ごみに分け入り、分厚いガラス越しに叔母を見つけた瓦屋根は

懸命に叔母に向かって、手を振っていた。

少し山田花子に似た叔母はてんで瓦屋根に気づかない。

あとで、話を聞いたら叔母は瓦屋根の顔を忘れていたらしい。

変なにいにいが、自分とこに手を振って「なんかきしょくわるいなぁ〈大阪弁で)」

と思っていたというのである。

瓦屋根がみーちなやーの頃に叔母はかわいがっていたというのに・・・

だあ、この叔母にはまだ春が来ないさァ・・・  

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2006年11月04日

消えユク風景

瓦屋根のチチは、うみあっちー が好きであった。

チチは、瓦屋根が みーちなやー の幼い頃から海へ連れまわしていた。

いまでは畑が宅地となり、海岸は埋め立てられ開発が進んでいる、

豊見城の与根でのことである。

与根は那覇空港近くの瀬長島入り口から糸満に行く途中の地域である。

当時与根は海岸沿いにはまだ塩田の名残もあり、畑にはさとうきびが延々と広がっていた。

のどかな地域であった。

チチは海岸近くの門中墓に自転車を停め、チビ瓦屋根には

「とーちゃんが帰るまでここでまっていなさい!」

といって、海岸へ向かっていった。

干潮前に漁をはじめ、満潮前に引き上げる算段である。

そのまま、数時間がすぎた。

チビ瓦屋根にとっては、これがだんだん恐ろしく長い時間に感じてきた。

自分はほっておかれて、捨てられたと思い始めたのである。

じっとしていられなくなって、自分でうちに帰ろうと、

墓を飛び出し、泣きじゃくりながら、沿道を歩いていた。

ところが、自分が今どこにいるのかさっぱりわからない。

今では幹線道路になっているが、その道が大きくカーブしているところで、

チビ瓦屋根はどの方向に向かおうか迷いながら、泣きじゃくって歩いていた。

軽貨物自動車にのった老夫婦が心配して

「あんた、どこの子ね~?」

と声をかけてきたのは覚えている。

瓦屋根の当時の記憶はそこで途切れている。

かつての風景が開発とともにモザイク状に切れ切れになって行くなかで、

記憶の中の風景はあせたモノクロ写真のようににうすれて行く。


   

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2006年10月18日

自己虐待・・・

瓦屋根のチチオヤは、言葉がきつく幼い瓦屋根にとっては恐ろしい存在だった。

あるとき、幼稚園瓦屋根が便所に入ろうとして、

カギがなかなかはずせなかったところを、

チチオヤがみており、いらいらーして、こう言った。

チチオヤ: えー! ふらー!  ちぶる ちかーれー!
       (おい! ばか!  頭使え!)


それを聞いた幼い瓦屋根、気が動転し何を思ったか、便所のカギに

「ガン!ガン!ガン!」・・・

と頭を打ち付けていた。


だからこういう頭になったかも・・・



ひさびさの本格シーサー   素晴らしくいいでき!  

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2006年10月07日

ノスタルジーそば

そば談義がさかんである。

ここのブログでも毎日そばの写真がアップされる。

県内数あるそば屋を征服したそば通達は、ブログやHPに

ランキングのようにそれぞれの感想を報告している。

結構参考になる。

しかし・・・

どうだろう、個人的な経験であるが、なんでここが?

というところもあるのも事実である。

ま、ヒトそれぞれといえばそれまでである。

これから、回想する食堂も、知ってたヒトからは・・・?

かもしれないが、思い出に残るそばであった。



瓦屋根が脱サラする前によく行った店がある。

そんなに古い話ではない。

〇〇大学のすぐ近くにある〇山食堂という絶品〈個人的にね)のそばを出す店である。

今は廃業しているので、そこのそばを食べるのは不可能である。

通から言えば、アジはB級かもしれないが、

メニューが個性的で庶民的、

料金は良心的であった。


こういうそばであった。

1.中華そば 400円
  そばはもちろん沖縄そば、細麺
  もやし、たまなー、にんじん、たまねぎ、みみぐい(きのこ)を、
  とろみのきいた八宝菜風にいためる。すこしゴマ油の風味がある。
  これがたっぷりとそばのうえにのっている。

  一番よく食った。

2.細ギリ肉そば 400円 or 450円
  そばは同上
  細切りにした豚赤肉を、もやしといため、とろみのきいた八宝菜風にしあげる。
  これが、たっぷりとそばのうえにのっている。

  中華そばに少しあきたときに食った。

3.もやしそば 250円 or 300円
  そばは同上
  新鮮なもやしをかるく味付け、こしょうをすこし多めに入れて、いためる。
  これがたっぷりそばのうえにのっている。
  具はしゃきしゃき、そばはちゅるちゅるさっぱりで最高。

  残業のあいま小腹がすいたときによく食った。


いまでもしょっちゅう、そこのそばを思い出す。

だれか再現してくれないかな・・・?

自分でやってみよかな・・・  

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2006年10月06日

なくなってからでは守れない・・・



粟国島から帰ってぜひ一度は行きたいところがあった。

海へ行くのは好きだが、釣りはあまり好きではない。

幼い頃、父親に写真のところへ、ときどき歩いて連れていかれた。

大潮をねらわないとそこにはいけない。

そこは、かつてアジケー(しゃこ貝)、みーばい、など海の幸が豊富であった。

もちろんさんご礁も立派であった。

天然のモズクは、その場で塩水ですすいでちゅるちゅると食えた。

釣りがなぜあまり好きではないかというと、たどり着くにも幼い子供にはしんどいしのに、

そこで竿の仕掛けを根がかりさせると、父親は勝手にきれて「ばか、あほう」と怒鳴り散らすのである。

それが、一種のトラウマになっているのであろう。

ここへきたのは、それ以来、うん十年ぶりである。

期待はしていなかったのだが、いちおうシャコガイがとれるように、はつりももってきた。

車をおりて、海岸から潮のひいた沖へと歩き始める。

えんえんと続く、サンゴの残骸。

ときおり、なまこ、クモヒトデなどはみかける。

しかし、なんということだ。

豊かな海とは冥王星より程遠い、不毛な海。

何キロ沖に歩いたのだろうか、リーフの外側近くになって、

やっとこさちらほらとサンゴや、コバルトスズメが見え出した。

これでは北谷の海岸のほうがはるかにきれいである。

ひき返しながら、素もぐりダイバー故吉嶺全二さんのことを思い出した。

かなり前から、ひとりで沖縄の海を守ろうと活動したかたである。

二十年以上もまえに、吉嶺さんが時系列で撮ったサンゴの定点観測の写真展を、

久茂地公民館で見たことがある。

あのときのショックを思い出したのである。

今回は悲しみを通りすぎて、幼い頃に罵倒された阿呆状態になっていた。



吉嶺さんの業績があるサイトみつけました。

参考に見てください。

素晴らしい写真です。

http://coral.h2o.co.jp/zenzi.html  

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2006年09月30日

引退

国産旅客機「YS-11」の国内線最後の1機が引退らしい。

今やジェットの時代。

YSなんて、聞いたことも、見たこともないヒトがほとんどだろう。

1度だけのったことがある。

あ、違うな、3回か。

2回は久米島往復。

後の1回が宮古島から本島への帰り。

帰る前日に、さっこーチューハイを飲んでしまった。

起きたときには、持っているチケットのジェット便は、すでに那覇へ飛んでいた。

空港へ一目散に向かって、事情を話したら、このチケットで乗せてくれた。

その便がYS-11だった。

プロペラ音がうるさいが、助けられたのにグチはいっていられない。

久米島からだとあっという間だけど、宮古島からだと1時間半くらいだったかな?

今となっては懐かしい思い出だな。  

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2006年09月29日

恐怖のカーラ屋ーならではの遊び

シーサーを壊した犯人探しはやめよう。

漆喰シーサーを直して、思い出したことがある。

カーラ屋ーならではの遊びである。

この遊びに名前があったか定かではない。

そして地域によってルールが微妙に違うかもしれない。

私のところではこういう遊びであった。

カンけり、ドッジボール、だるまさんがころんだ、の要素が複合的になったゲームだと思えばいい。

のだが・・・


道具は、野球ボール大のぷかぷかボール1個

人数は何人でもOK  7、8人くらいがいいかも。

場所は、カーラ屋ーの前庭

ルール

1.参加者にひとりひとりに1から番号をつける。
  5人いたら、番号1,2,3,4,5がいることになる。

2.ボールを最初に持つひとを適当に決める。

3.最初にボールを持ったひとは、だれでもいい適当な番号を叫んで、屋根の上にボールを投げるの である。ただし、屋根に投げたボールは、必ず、前庭に転がって戻るように投げなければならない。
 反対側にいったり、戻ってこなければ、投げたひとに罰点がつく。

4.番号を呼ばれたひとは、屋根から転がり落ちるボールを、地面に落ちる前にダイレクトで取らなければならない。

5.番号を呼ばれないひとと投げたひとは、鬼ごっこのように逃げる。

6.番号をよばれたひとがボールをダイレクトでキャッチしたら、別の番号を叫んで屋根に投げ返す。
  屋根へのボール投げは誰かが落とすまで続けられる。

7.ボールを取れなかった場合は、ボールを拾い上げた瞬間に「ストップ」といって、逃げたメンバーの動きをとめる。

8.ボールを落としたひとは、自分に近いひとか、もしくは罰点を与えたいひとに、ボールを投げつけ当てるのである。
 ボールに当てられたひとは罰点がつく。
 ただしボールを投げつけられたやつは当てられないように、その場でかわしてもいいし、とってもいい。
 その場合はボールを投げたたひとに罰点がつく。

9.この罰点の累積が取り決めた点数になったひとは「シケイ」と称する罰ゲームを受ける。
 「シケイ」とは、対象者が壁に向かって、手を広げて十字型(はりつけ型)で立つ。
 その他のメンバーは彼に向かって、ある一定の距離から思いっきりボールを投げつけるのである。

 この「シケイ」には子供達の性格や好き嫌いがもろにでる。
 
 やさしい子はあたらないように投げたり、嫌いな子や嫌われっ子はおもいっきりねらわれる。
 
 ただ、面白いのは頭に当てたらだめと取り決めたら、頭にあてた子が逆に罰ゲームの対象になった

 りするのである。


瓦屋根の葺き筋がボウリングのたくさんのレーンのようになって、投げたボールがどこから落ちるかわからないので、スリルがある。

ただ、大人ではもうだめだ、背が高くなって、ボールがどこから落ちるかわかるからつまらない。

子供だからこそ、ならではの駆け引きもあり、スリル満点と罰ゲームありの恐怖のゲームなのであった。


どこでの遊びだったかって? 〇〇〇はニッポンですか?

がっはっは・・・

もうわかるよね?  

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2006年02月10日

漆喰の思い出

幼い頃、父の在庫の袋詰の漆喰を、くぎではっぷがして遊んでいました。

そしたら、見つかって、したたか怒鳴られました。

今、私がそういうことをその辺の子供達にでもされたら・・・

やっぱり、わじりますな。


職人が使う漆喰は、大きなビニール袋につめて、さらに土嚢袋に入れて、

口を紐でくくり、重量は25kgくらいです。

袋詰した漆喰はペースト状で、たぽたぽしていて、ちょうどビニール袋に入れてゴムで結わえた「ゆしどうふ」みたいなものです。

土嚢袋ほどの「ゆしどうふ」を想像してください。

それを、くぎではっぷがしたときの、おもしろさ。

「ぐさ!」「ぶち!」「ぴゅー!」ですからね。

子供にとってはは愉快ですよ。

ほんと無邪気だったな・・・  

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2005年12月18日

「ぼうふら~」叔母さん

漆喰瓦屋根のある風景(セメント瓦:南風原町) 

南風原町は織物の町 古くからの集落の路地を歩くと機織の音が「ぱったんぱったん」と聞こえてくる。
 
 
 「ぼうふら~」叔母さん あらため…

「花子」叔母さん…

 最近さすがにここ沖縄も急に冷え込んだが、去年のたしか年末頃の寒さにはまだまだである。  
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2005年12月17日

K島の思い出・・・4

漆喰瓦屋根とヒンプンのある風景(中城村)


 問題のうーじ畑である。
ひどい雑草だなあ、と思いつつ、それでも1週間から10日では
帰れると計算していた。
経過やその作業中のもろもろの感情・思いをさしおいて、
結果からいうと、草刈になんと1ヶ月近くかかった。  
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