2007年12月13日
ジャパン!

豊見城市
漫然とテレビを見ていた。
音声は聞いていなかった。
とあるCMでギョッとした。
ア〇コジャパンとあるのを、
〇ソコジャパンと読み違えたのだ。
こんな人間は間違いなく保険に入れてもらえないだろう^^
2007年06月18日
2007年06月08日
きょうの弁当&現場の風景
雨の確率は高いのに降らない。
朝9時すぎに現場解散していたのだが、午後から作業出きるのであれば、
やってみようということになった。
ほんと、微妙にヨホウはあてにならない。
確率が低いかと思えば、土砂降りになるし、
高いから作業を控えていたら、ふらない・・・
気象レーダーでは三時すぎあたりが、
雨雲がかかりそうだが、やるだけやてみよか^^

いったん帰って、早弁中
牛焼肉
たまごやき
とまと、きゅうり
ゆでなすあえ
かんだばーにんにくあえ
かんだばーが結構うまい。
モロヘイヤ風である。
ごちそうさまでした。

たまにはデジカメであっぷだが、
霧雨状の雨で眼下の那覇市街はあまりぱっとしない。
朝9時すぎに現場解散していたのだが、午後から作業出きるのであれば、
やってみようということになった。
ほんと、微妙にヨホウはあてにならない。
確率が低いかと思えば、土砂降りになるし、
高いから作業を控えていたら、ふらない・・・
気象レーダーでは三時すぎあたりが、
雨雲がかかりそうだが、やるだけやてみよか^^

いったん帰って、早弁中
牛焼肉
たまごやき
とまと、きゅうり
ゆでなすあえ
かんだばーにんにくあえ
かんだばーが結構うまい。
モロヘイヤ風である。
ごちそうさまでした。

たまにはデジカメであっぷだが、
霧雨状の雨で眼下の那覇市街はあまりぱっとしない。
2007年04月06日
渡名喜島の現場&瓦屋根のある風景


渡名喜島の完成現場の写真である。
伝統的な工法を尊重して、材料は木材だけで修復している。
集落内の道路は車一台がぎりぎりとおれるくらいの、幅である。
朝早く散歩すると砂地の路地に竹箒で掃除したあとがわかるところがあると
通りすぎて竹箒の模様をこわすのがなんだかもったいないほどだ。

路地横には街灯が連なっているが、1mもならないほどのたかさで、
夜は足元がライトアップされるようになっている。
好みもあるだろうが、夜散歩しても情緒が味わえる。
とある民家の塀には、大きな高瀬貝とシャコ貝の殻がずらりとならんでいた。
写真はほんの一部である。
かつてはここの海も豊かな海であったのだろう。
2007年03月27日
「青春の光と影」と「滝落し」

洋楽の名曲「青春の光と影(原題:Both Sides Now)」のメロディーが、
アタマの中を駆け巡っているときがある。
それがしばらくリフレインしていると、
途中で琉球古典の琴の名曲「滝落し(たちうとぅし)」に変わっていく。
なぜかというと、二つの曲は意外にも、曲調というか、メロディーが似ているからである。
「青春の・・・・」のほうが少し琉球音階が入っているといえばいいのか。
ま、あくまでも瓦屋根の主観なんだが。
「青春の・・・」は、いまJTのCMでアカペラで流れている、あの曲である。
「滝落し」は、うちなー通や琉球音楽を多少とも知っていれば、知らないヒトはいない・・・よね。
両曲を検索してさがした。
一応参考に聞き比べてほしい。
といっても参考になりにくいかも。
「青春の光と影」
オリジナルのジョニミッチェルもいいし、ヒットしたジュディコリンズもいい、
子供コーラスなどなどもいいが、
これがなかなか、ぐっときたので。。 ↓
きれいなお姉さん達のバイオリン、ピアノをバックに、
けっしてうまくはないが気持ちの乗ったおじさんたちのコーラス。
そしてのりのりの指揮者はろくに指揮をしていない。
http://www.youtube.com/watch?v=494DoM077Hk&mode=related&search=
「滝落し(たちうとぅし)」
検索したら何とか見つかりました、
http://blog.okinawabbtv.com/shisa/?itemid=661
シーサーさんありがとうございます。
曲はここ↓
http://www.wonder-okinawa.jp/014/9r-w/014_0014.wvx
純粋にメロディーだけを聞き比べてみたら、似てない?
どうも、分がわるそう・・・
2007年03月19日
シックイカワラヤネノアルフウケイ

屋根に上がって仕事をしていると、声がかかるときがある。
那覇で仕事をしていた時、道向かいの2階建ての住宅から、
ときどき視線を感じるときがあった。
視線の主はその家のガイジンムコさんであった。
瓦屋根の仕事を珍しく見ていたのだろう。
あるとき、目があった。
ガイジンさんいわく 「ジョートー ネ」
瓦屋根は英語もしゃべるので(大うそ)、「さんきゅー」と返した。
豊見城でのことであった。
道向かいには、教会がある。
日曜には、ガイジンの牧師さんらしきかたが、いつも子供達をつれてきていた。
その子供達の中にみっつくらいのかわいい女の子がいた。
白人の金髪の子であった。
ある日曜日に、瓦屋根が屋根の上で仕事をしていると、
「ぱっこん、ぱっこん」と奇妙な音がする。
音の聞こえる路地に目を向けると、
この金髪の女の子が歩いていた。
父親の、でっかい革靴をはいて。
「ぱっこん、ぱっこん」はその音であったのだ。
靴は女の子の足の優に三倍はある。
それをはいて一所懸命歩いているのだ。
ほほえましい光景を眺めていたら、瓦屋根がその女の子と目があった。
女の子が 「オハヨ ゴジャイマシュ」、
とたどたどしい日本語をしゃべってきた。
瓦屋根は思わず 「オハヨー」と
いわされてしまった。
子供には、かてんな。
2007年03月16日
感動の風景
朝の登校時に、学校前の横断歩道で父母が立哨をしている風景をよくみかける。
もちろんこれは危険な車から子供達を守る活動であることはいうまでもない。
歩行者とドライバーに多少の緊張感が伴うものである。
ところが、いま片道2時間をかけて通う国頭の現場近くで、いい風景に出会った。
朝8時前の現場到着まえである。
国頭村の手前、長寿で有名な大宜味村の国道添いにある小学校前のことである。
小学校前の横断歩道の信号が赤になったので、瓦屋根一行のクルマは停車した。
横断歩道手前には数人の小学生達が信号を渡ろうとしている。
小学生達はいっせいに渡り出した。
驚いたことに、渡りきった後に、最後尾から歩いていた年長生二人ほどが、
くるりと横断歩道をふりかえり、丁寧にお辞儀をしたのである。
それを見た瓦屋根一行の野蛮人職人達はいっせいに、感動の声をあげていた。
道路や車に対して、安全のためにいろいろな自衛策をたてるのが常識であるのだが、
感謝の態度で対応するとは・・・
ドライバーにはぐさりとくるではないか。
この子達はきっと沖縄の将来をになっていく、素晴らしい大人になるだろう。
そう思った日であった。
おとといのはなし です。
もちろんこれは危険な車から子供達を守る活動であることはいうまでもない。
歩行者とドライバーに多少の緊張感が伴うものである。
ところが、いま片道2時間をかけて通う国頭の現場近くで、いい風景に出会った。
朝8時前の現場到着まえである。
国頭村の手前、長寿で有名な大宜味村の国道添いにある小学校前のことである。
小学校前の横断歩道の信号が赤になったので、瓦屋根一行のクルマは停車した。
横断歩道手前には数人の小学生達が信号を渡ろうとしている。
小学生達はいっせいに渡り出した。
驚いたことに、渡りきった後に、最後尾から歩いていた年長生二人ほどが、
くるりと横断歩道をふりかえり、丁寧にお辞儀をしたのである。
それを見た瓦屋根一行の野蛮人職人達はいっせいに、感動の声をあげていた。
道路や車に対して、安全のためにいろいろな自衛策をたてるのが常識であるのだが、
感謝の態度で対応するとは・・・
ドライバーにはぐさりとくるではないか。
この子達はきっと沖縄の将来をになっていく、素晴らしい大人になるだろう。
そう思った日であった。
おとといのはなし です。
2007年03月09日
瓦屋根の仲間達(その2)

Iさんという、年配の職人さんがいる。
この方は ゆんたくじょーじ である。
仕事で手を動かす以上に、口がよく動く。
しかし、やまとぅぐち が苦手なので、
もっぱら、うちなーぐち で しゃべりまくるのである。
Iさんは、かつて一時期ハイヤーの運転手をしていたことがあったらしく、
あるときの観光客への案内が、こうであったという。
旧日本軍の牛島中将が切腹した〈史実は別にして)
といわれる南部戦跡を案内しながら・・・
Iさん : ここが ウシ さんが ワタ 切ったところです。
といったとか・・・・
また、観光客からモクマオウ の樹を
「あれは何の樹ですか?」
と尋ねられ
Iさん: 松の いとこ です。
といったとか。
そういえば、中城の現場では、
Iさんと瓦屋根ふたりだけの日があった。
Iさんが結構年配であるのに、朝礼の挨拶をなかば押し付けられた。
そのときの理由が、
「あんた やまとぅぐちじょーじ だから あんたやりなさい」
であったのを思い出した。
Iさんのことを、別名「放送局」という職人さんもいる。
ローカルだけど。
2007年03月05日
瓦屋根の仲間達

いま応援している「組」は、少し変わった人達が多い。
まず瓦屋根を呼んでくれた先輩職人Mさん。
Mさんは、いまはあまりテレビで見かけないが、
容姿は「左とんぺい」にそっくりである。もっと上品にした感じである。
時々まじめなのか、とぼけているのか、「〇〇ですけど」というときの
「だ行」が「ら行」にかわる。
だから、いっている言葉が 「〇〇れすけろ」 になる。
こっちは、吹き出しそうになるが、本人はいたってまじめである。
次に強面の職人Sさん。
瓦屋根が来たそのあとからこの「組」に応援にきているのだが、
あちらこちらで引っ張りだこの実力派職人である。
このヒトは、あとで気づいたのであるが、
「うちなー風」にした俳優の「クリントイーストウッド」に似ている。
しかし、この方はとんでもない芸というか、癖をもっている。
屋根に登っている仕事中にものすごい「プー」をするのである。
ほんとにすごいのである。
高校野球の甲子園でも有名な「うちなー指笛」をしているような連発をする。
言葉ではもはや形容できない。実際の「音」を聞いてもらわないと・・・
すくいなのは、「臭く」ない。
これでくさかったら、たまらんしが・・・
つづきの紹介はまたにする。
2007年02月24日
今日の現場その2
今日は、新都心の現場を終わらせたあと、
別な現場に向かった。
瓦葺きはすでに別メンバーがしていたのだが、
漆喰下地塗りから、上塗りまで早く終わらたいということであった。
そんなこといったって、そこへつくのは結構遅かったので
下地塗りは、全体の3分の1もできない。
思い起こしてみれば、いまの「組」に応援できたのだが、
二ヶ月あまりで、中城、西原、奥武山、名護、今帰仁、沖永良部、読谷、南風原と
あちらこちら飛びまわった。
そして今日が、新都心と宜野湾である。
この宜野湾の現場は小さな公共施設である。
かつて、瓦屋根は営業でこのあたりを回ったことがある。
昼間の営業であるのに、
ある区域に入った途端、
きれいであるがすこしケバイおねーさまがたがちらほら。
あるひとりのきれいなおねーさまに声をかけられた。
おねーさま:ねーよってかない?
やすいよ~~^^
瓦屋根: なにがやすいの^^?
おねーさま: ア タ シ
まいったな、瓦屋根は、オトコにも声をかけられるは、
おねーさまにも声をかけられるわで、
う~んモテルオトコはつらい・・・
なんのこっちゃ!
って、ここがどのあたりか、知るヒトぞ知るだよな・
2007年01月28日
赤瓦屋根の生まれる風景
アップした昼までの作業から、ここまで今日は進んだ。
天気が悪くなりそうなので、やや早めに切り上げた。
どうも、同じような写真ばかりのようだが、作業部分は進行移動しているのである。
瓦屋根は周囲の風景と一緒に撮り込まないと、おもしろさは伝わりにくい。
漆喰の下塗り上塗りをするにはもう少し日数がかかる。
漆喰ぬりは始めてもよいのだが、
瓦屋根ふくむ ムチヌヤーふたりが瓦葺きにまわっているので、
しよがないのである。
それはそうと、集合場所へのバイク通勤は骨身にしみる。
昨日の夜は雨交じりであったので、なおさら寒かった。
浦添バイパスから那覇に入りかかると、渋滞で車の合間を
ぬって走るのだが、車やバスの排気ガスで
そのあたりは暖かく、天国っぽい。
怖い「天国」だな・・・
2007年01月23日
きょうの現場:つづき
朝撮って昼アップした現場は、2時すぎには漆喰上塗り完了した。
どなんだろ?
あんまり、ぱっとしないね。
携帯じゃコントラストがいまいちだね。
それともこっちの腕かぁ?
瓦屋根の関係者ではない数人が、屋根の周囲の足場まで上がってきていた。
めずらしくそのなかにオンナのヒトがいる。
職名は知らない。
瓦屋根周囲のコンクリート桁を歩いている。
オンナのヒトが「赤瓦ってきれいですねぇ」と瓦屋根に声をかけてきた。
タッキー似だが愛嬌はないので
「そですかぁ?」
としか答えられない。
それでおわりである。
仲間由紀恵風だったら返事はどうなっていただろう?
かわらんだろな。
ということで、現場はまたまたちかくの四軒目の下地塗りにはいった。
そのすぐ近くで凧上げしていた。
この周辺では結構はやっているらしい。
凧の写真アップが良かったかもだけど、撮るひまがない。
たたみ一枚ほどの凧だったんだけどね。
残念!
2007年01月20日
今日の現場
西原の現場3軒目である。
写真は、地ムチ(下地漆喰)塗りであるが、降り棟は終了しヒラにはいった。
最近ワンパターンな現場シーンである。
コンクリートスラブ屋根に瓦あげをおこない、瓦を葺き、
漆喰の下地、・上塗りで漆喰瓦屋根が完成する過程は、
初めと終わりとでは、本来はかなりの変わりようである。
だったら、その都度写真をとれば?
と思われるかもしれないが、カントクさんや請負師ではない一職人〈しかも応援)
が、ぱちぱち としていたら
「えー!やーよ! なにさまか?!」
雰囲気となる。 少し大げさだけど。
写真を撮るヒトは仕事をしないヒトと相場は決まっているのである。
はは、半分はうそかな。
その日の仕事の始まりと終わりに写真が撮れれば、比較できるのだけれども、
今の時期、朝一だと日が明けて間もないし、終わリ間際だと、暗くて撮れないのである。
したがって、10時休み、12時、3時休みのいずれかの合間に撮ることになるので、
どうも似たような、工程の進み具合のわかりづらい写真になってしまうのである。
2007年01月19日
漆喰瓦屋根のある風景

周囲がコンクリート住宅だらけになると、
残念ながら、漆喰瓦屋根のある風景は
都会にはなじまなくなる。
ふたつとも那覇市内なのだが、
糸満や豊見城、旧東風平、旧具志頭、南風原などののんびりとした
風情・風景とはかけはなれてしまう。
それでも、ブログを始めた初心を忘れないでアップを続けるしかないな。
なくなる一方であるのは確かなんだから・・・
2006年12月23日
クバ笠とヘルメット、そして・・・

大先輩職人から頼まれ、ここ数日ある公共施設の屋根葺きを手伝っている。
瓦屋根自身が請けた民家は、普段はクバ笠姿で仕事をするが、
こういう現場ではヘルメットをかぶらないと
現場監督さんに ぬらー りる。
ヘルメットは危険防止には じょうとー だが
今回意外と言うか、不覚というか、
昨日今日の太陽照りの下で、季節はずれの 日焼け をしてしまった。
クバ笠なら、直射日光は顔面受けしないのによ・・・
あー、タッキー似の いるじるー が 真っ赤ッか・・・
まあ、いい勉強になるからいいか。
2006年12月06日
運命の「出会い」

この話はできすぎのような感じはするが、
当事者が言っていたので、ホント・・・・であろう。
おもしろいから紹介する。
うちなーんちゅの、
名字が「大工(ダイク)」さんと「漢那(カンナ)」さんが、
東京のある有名某所で待ち合わせをしていたそうである。
「大工」さんは、ずっとロビーで待っているのだが、
「漢那」さんと落ち合うことができない。
しょうがないから、呼び出しのアナウンスをお願いしたそうである。
♪ ピンポンパンポン ♪
アナウンス: おきなわより~ おこしの~
かんな 様~
おきなわより~ おこしの~
かんな 様~
だいく 様が 探しております~
これで会えなけりゃ、「大工」さんは
たーばーじぇーく るやんてぇ・・・
2006年11月28日
ある赤瓦屋ーの履歴書
※写真と本文は関係ありません
昭和初頭 :南洋に出稼ぎにいった家主が送金して溜めた資金で用材を買い集め始める
昭和10年代始め:用材が集まる。
沖縄本島南部某村字某集落にて〈出生)建てられる。
基礎の版築、葺き土・瓦の屋根上げなど人手のかかるものは
ほとんどユイマールであった。
建った当時は集落でも数少ない立派なカーラやーであったという。
昭和20年前後 :米軍が沖縄本島に空襲を開始、その後上陸
その頃には、私の周囲には立派な後輩「赤瓦屋ー」達が建ち並んでいた。
しかし、戦火が本島にまで及び始めると、空襲で焼ける家、
艦砲射撃で吹き飛ぶ家、また地上戦で敵か味方かわからない
ニンゲンに焼き討ちに会う家、でほとんどが焼失した。
にもかかわらず「ワタシ」だけが、奇跡的に「生き残った」
しかし、軒柱と梁には機銃の痕が残っている。
昭和20年~ : うちなーちゅの復興努力により、「ワタシ」の周囲に
30年代 新たに赤瓦屋ーが建ち始める。
またあたらしく「ワタシ」の後輩ができた。
昭和40年台 :「ワタシ」を建ててくれた、「おじぃ」が亡くなる。
しかし、その長男が「ワタシ」を引き継いでくれる。
数年後、「おじぃ」の連れ合いであった「おばぁ」が亡くなる。
「おばぁ」は長男とその嫁に、「おじぃ」が苦労して建たカーラヤー〈ワタシ)を
大事にしてくれと、言い残す。
少し前から、コンクリヤーが建ち始めるが、海洋博を前後に激増する。
「彼ら」は、ちゅーばーそうであった。
一方で赤瓦屋ーの新築は激減する。
昭和50年代後半 :「ワタシ」の後輩である、「赤瓦屋ー」が次々と取り壊され始める。
~60年代 まだ木や瓦が傷んでいるわけでもなく「頑丈」なのだが、
その家に住むニンゲン達にいわせれば、そうでないらしい。
後輩「赤瓦屋ー」達は、壊されている最中、悲鳴を上げていた。
もちろん、ニンゲンには聞こえない。
以降、「ワタシ」の後輩・仲間は減る一方となる。
平成〇〇年 :先代「おじぃ」をついだ、長男が亡くなる。
長男は「ワタシ」が生まれた頃は、みーちなやー のわらびであった。
平成〇〇年 : 長男の子供達は、「ワタシ」からすでに独立結婚して別に住居を
構えていたので、「ワタシ」の住人は、長男嫁だけとなった。
もちろん、嫁も高齢になっている。
平成〇〇年 : 長男が亡くなってさらに数年後
すでに「おばぁ」になっているが、長男嫁が老人施設に世話になることになった。
「ワタシ」のところに住むものは、誰もいなくなった。
旧盆、旧正月など行事があるときにしか、親族は来なくなった。
来るたびに親族は「おばぁ(長男嫁)」が亡くなったあとの、
「ワタシ」の処遇を相談している。
平成〇〇年 :老人施設にいた、長男嫁の「おばぁ」が亡くなった。
「ワタシ」のところに帰ってくる、家人はいなくなった。
屋敷の中に植えられていた、しーくぁーさーの木が、
しばらくして枯れた。
平成〇〇年 :しばらく、住人不在のまま「ワタシ」は生きてきたが、
このたび取り壊しが決まった。
まだ、「ワタシ」としては、特段悪いところはなく、現役のつもりであるが。
家を建てた先代おじぃのひ孫にあたる、本土就職した子が取り壊しを
反対したらしいが、それ以外はほぼ親族の「全会一致」だったそうだ。
まだこのうちにある「位牌」に親族が報告にきていたので知った。
「ワタシ」が取り壊されたあとは更地にして、その後アパートを建てる計画である。
「ワタシ」が生まれる前からいたと言われる、屋敷の周りの福木、
ガジュマルなどの大木は切り倒されるらしい。
「ワタシ」のところに寄宿している、ねずみや虫達に今回の件を伝えた。
彼らにもうすうすわかっていたようだ。
しかし、周辺の環境ががちがちのコンクリートに囲まれた現在では、
彼らも行くところがないらしい
「ワタシ」にはどうしようもない。
本土では「築何百年の古民家」といわれる、「仲間」がいるらしいが、
ここ沖縄ではわがままはいっていられない。
淡々と消えいくのみである。
2006年11月02日
2006年10月13日
漆喰瓦屋根の地域性
粟国島の伝統的な家屋は、
敷地が道路より低く掘り込まれ、
屋敷をサンゴ石灰岩の野面積みで取り囲み、
屋敷林には福木が多く用いられている。
敷地が道路より低いのは、当然ながら猛烈な暴風をさける役目を果たす。
石灰岩上に屋敷は立地しており排水がよいので、大雨でも浸水することはない。
また当然ながら福木も暴風が直接家屋に当たるのを防ぐ働きをしている。
これらが、一体となることによって、このかーらやーを長年の風雨から80年も守ってきたのである。
地域に根ざした昔からの知恵である。

敷地が道路より低く掘り込まれ、
屋敷をサンゴ石灰岩の野面積みで取り囲み、
屋敷林には福木が多く用いられている。
敷地が道路より低いのは、当然ながら猛烈な暴風をさける役目を果たす。
石灰岩上に屋敷は立地しており排水がよいので、大雨でも浸水することはない。
また当然ながら福木も暴風が直接家屋に当たるのを防ぐ働きをしている。
これらが、一体となることによって、このかーらやーを長年の風雨から80年も守ってきたのである。
地域に根ざした昔からの知恵である。
2006年10月06日
ほんものとニセモノ
漆喰瓦屋根は、現実的な沖縄の風景から、確実に失われつつある。
いわゆる観光スポットなどに移築された漆喰瓦屋根木造住宅は、
それ自体はほんとにすばらしいものであるが、いかんせん生活感がない。
それでは、現代を生きる建築物としては、あまり説得力がない。
博物館の収蔵品とかわらなくなる。
べつにそれはそれで大変価値のあるものであるが、
前に述べた、柳宗悦のいう「琉球の富」とはかけ離れたものとなってしまう。
捜し求めなくても、生活とともにそこにある風景・・・ それが大事だと思うのだが。
地元であるすこしは名の知れた有名なミュージシャンが、
ロケをやっている現場に遭遇したことがある。
赤瓦やーをバックに屋敷の後ろのスージミチで、撮影している。
本人達は沖縄好き=沖縄通だと自負していると思う。
タダ、そこをチラととおりすぎた、瓦屋根は内心苦笑してしまった。
赤瓦にペンキ塗装をした住宅だったのである。
もうこれでは、瓦は死んでしまっています。
価値ある焼き物=手作り赤瓦(長い時間たつと古びてくる)、に
ペンキ(見た目のかっこだけ=でもみためきれい)
塗りますか?
こんなもんでしょうね。
ホンモノとにせもの、って。
・・・通を自負しているヒトでも意外とわからない。




日本の地域ブログ大集合!津々浦々の美味い・楽しいがここに!
